私塾は大学の代替機関となり得るか?

先日、文科省から各国立大学へ向けて「人文社会科学系学部・大学院(=文系)を削減する方向で組織改編し、社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組みましょう」という旨の通達があった。

参考:国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)

賛否両論

なぜ、文系のみを削減するのか?社会的要請の高い分野とは何なのか?この文面だけでは詳しいことはわからないが、インターネット上では本通知についてさまざまな立場から意見が述べられている。

賛成意見

1.経済観測:役立たぬ「学術教養ごっこ」

グローバル型・ローカル型大学の提唱者でもある経営共創基盤CEO・冨山和彦氏の記事。実学的な基礎技能(簿記会計技能、プロブラミング技能)こそが教養中の教養であるという主張。

2.【日本の解き方】国立大文系学部は社会に役立つか 経済や憲法では“有害”な例も

経済学者・高橋洋一氏の記事。文系学部の就職率は低く文系研究者も的外れな主張をすることが多いので文系削減は極めて自然な流れであるという主張。

反対意見

1.国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策

思想家・内田樹氏の記事。文系教育が打ち切られようとしているのは学校教育への市場原理の導入の論理的帰結であると主張。この流れに抗うオルタナティブな教育機関を支えることが重要であり、実際内田氏が主宰する「凱風館(がいふうかん)」を含めて各地で無数の「私塾」が創設されているとのこと。

2.国立大学の文系縮小策「無批判な国民性生む危険あり」と識者

安田教育研究所・安田理氏の記事。社会的な要請は時代ごとに異なるため、その場に合わせて学部の削減・統廃合を行うのではなく変化に対応できる基礎的な力をつけておいたほうが良いという主張。

3.文系学部廃止令に物申す

民主党細野豪志氏の記事。大学に市場原理を持ち込んでいる文科省に対する批判記事。

4.エリートを育成するため大学はどう変わるべきか

精神科医・和田秀樹氏の記事。数学を原則的に課さない私立大学だけに文系が残ることには賛成できないとのこと。大学で基礎教養を、大学院で役に立つ技能を身につけて国際的に活躍できるエリートを作るべきであるという主張。

5.日本に文系学部は必要か?

大阪芸術大学・純丘曜彰氏の記事。本当に23,000人もの文系大学教員(助教・助手含む)が必要なのかということを追及している。やる気のない(=論文を書かない)教員が多くなるアカデミアの構造的な問題を指摘。文系では大手学会の天下りシステムにより駅弁大学が増えてしまっているため、新規研究と若手研究者育成を阻害しているという主張。 ※6/25:著者に誤読のご指摘をいただき修正を加えました。

6.国立大 文科省通知の波紋(上)人文知、民主主義支える

滋賀大学長・佐和隆光氏の記事。「思考力・判断力・表現力」を養うには人文社会系の学識が不可欠であるという主張。おもしろいことに1960年3月、岸信介内閣の松田竹千代文部相(当時)が「国立大学の法文系学部は全廃して理工系を中心とし、法文系の教育は私立大学に任せるべきだ」と発言していたとのこと。そういう意味では自民党の大学政策には一貫性があると言える。

大学外に私塾を作る

文科省の通達は即時に文系撤廃を要請するものではないが、今後文系分野はゆるやかに削減されていくであろう。実用から離れた自然科学系の分野(物理学・化学・生物学の一部)の削減要請が届く日もそう遠くないのかもしれない。

それでは、文系削減を防ぐにはどうすれば良いのだろうか。一度国が方向性を示した以上関係各省を説得して撤廃を求めるのは難しい。となると、国立大学以外で該当分野が発展する仕組みを考えることが重要になる。

ひとつの案として私立大学に文系教育を委ねる方法がある。魅力的かつ現実的な提案ができて学長をはじめとする関係者が納得できれば、国立大学と同様の教育環境を実現できるかもしれない。しかし、提案から実行までのハードルが高く実現までにかなりの時間を要することになる。私立大学に期待するだけではなく、大学以外の場所で学問が発展する仕組みができれば理想的だ。

個人的には、内田樹氏の言う私塾のようなものに実用から離れた分野が発展する可能性を感じている。本稿では、私塾という言葉を大学と同程度の学習環境を満たせる場所という意味で利用し、また大学と同程度の学習環境とは、専門家の講義が聞けて資料(論文、書籍)が閲覧できて議論ができることとする。幸いなことに該当分野では多額の研究費を必要としないため、私塾を継続的に運営できれば大学に行かなくとも学び・研究を進めることができるはずだ。

インターネットを活用した私塾運営を

それでは、どのような私塾が登場し得るのだろうか。

1.講義はMOOCで

近年各大学が導入しているMOOC(Massive Open Online Courses)では各分野の専門家の講義を無料で聴くことができる。(例:OpenLearning, Japan

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まだコンテンツの量は十分ではないが、インターネット環境があれば、いつでも、だれでも、どこでも講義を聴講することが可能だ。私塾に一台のコンピュータとプロジェクターがあれば、好きな分野を自由に学び講義の後に他の聴講者と議論することもできる。

2.資料はクラウド

学生時代に購入した書籍の大半は、社会人になれば読む機会はなくなり気付けばホコリまみれになっていることはよくあると思う。専門家でも今では手に取ることのない教科書はたくさんあるはずだ。

そこでクラウドファンディングの書籍バージョンを活用する。インターネット上で書籍を募り、目標冊数に達した場合にのみ寄贈者に特典をお返しする仕組みだ。クラウドファンディングのおもしろい点は、資源を募ると同時に活動内容の宣伝ができることである。もしかすると私塾を一緒に運営する仲間ができるかもしれない。

論文購読には費用がかかるため知名度の高い雑誌を手当たり次第読むのは難しいが、無料でアクセス可能な論文誌を活用すれば費用を抑えられる。

ただ私塾では、論文の中身を議論するよりも、ひとつの専門書や入門書を読み進めながら意見を交換し該当テーマを多面的に捉えるなかで理解を深める「自主ゼミ形式」が向いているように思う。専門家からすると自分の専門分野の自主ゼミでは物足りないかもしれないが、専門とは少し違う分野であれば刺激を得られるのではないだろうか。

3.仲間集めはイベントで

私塾のメンバーを増やすには、WebサイトやSNSでのアピールが重要になる。私塾のコンセプトを明確に打ち出し定期的にイベントを開催する過程で、似た興味を持つ幅広い年齢層のネットワークができていくはずだ。

私塾の運営には人的・金銭的コストがそれなりにかかり上手くいく保証もない。しかし世代も価値観も異なる人たちが同じテーマを学び・議論できる場はほとんどない(内田氏は無数にあると発言しているが…)。工夫次第では、私塾で大学以上に魅力のある学習環境を作れるはずだ。

私塾は「大学」の代替機関にはなれない

日本で仕事を得るためには学歴が物を言うことが多いため、高校卒業後に大学ではなく私塾に進学する流れは現実的ではない。おそらく私塾は一種の資格として認知されている「大学」の代替機関にはならないだろう。しかし、先人たちが積み上げてきた知識を得て、議論を通じて新しい知見を探求できる場所になれば、私塾が本来の意味での大学の役割を果たす可能性は十分にある。

私塾のような取り組みを同時多発的に生み出していくことが文系削減案に対するひとつの代替案であり、これからの学問を継続的に発展させるために必要なのかもしれない。